2020年12月26日土曜日

忘れ得ぬ 2020年。

全ての方に「怒涛の嘆き」が押し寄せ、もがいた1年が過ぎようとしている。過去の経験は役に立たず、個人から産業界まで様変わりした。

未曽有の減益の会社と新需要で躍進の会社と企業別に一喜一憂だ。特にコロナ直撃の製造、観光、飲食業などは雇用者比率も高く、一部で好調でも全体の雇用の安定は未だみえない。


変わらないのは「時の流れ」で、時間は公平に過ぎ2021年がやってくる。今年は臨機応変・変幻自在を求められたが、来年も変わらないだろう。

弊社の1年は、昨年の情報漏洩、コロナ禍と厳しい最中だが、新たな事業がスタート出来た。

この12月から「マキア」「Coyori」に続き、新ブランド「シン ピュルテ」の公式サイトを開始したのだ。来春は大幅に新商品も上市して、本格的に展開の予定なので、乞うご期待だ。

■SINN PURETE公式サイト


「刻石流水」の教えを胸に刻む。



本年も、皆様のご厚情とお力添えで越年できそうだ。やはり人の情けが身に染みると、大切な教え「刻石流水・こくせきりゅうすい」を思い出す。

「受けた恩義は心に刻み、施した事は水に流す」という教えだ。何かを施しても、相手に感謝を求めず忘れ去り、受けた恩はどんなに小さくても心の石に刻む。そして「倍返し」を絶えず心掛け、その人以外にも返していく。

これは「成長のための原理原則」とも言われる。ご縁を頂いた全ての方に「刻石流水」の心で、来年も過ごすことをお誓いして、本年のご挨拶にしたいと思います。

拙いブログのお付き合への感謝と、皆様の穏やかな年越しを、心よりご祈念申し上げます。

































2020年12月11日金曜日

大学柔道物語

 息子は、新設柔道部の活躍と体育教師を目指し、帝京平成大学に入学した。待機を経て7月から大学近くのアパートから元気に通っている。

新生部員18名は、監督とコーチの指導を受け熱い日々。練習と課題提出に追われるが、仲間との毎日が楽しそうで何よりだ。

筑波大から移籍した小野監督と三戸コーチは、部員たちと大学1部リーグ入りを目指すも、ご存知コロナ。大会は中止となり、今は練習を積み重ね来年に賭けるしかない。

先日、息子がケガをし監督から「気の緩みが原因」と注意されたが当然だ。今は回復したが、乱取りの油断や自分への誤魔化しはご法度だ。


コロナ禍でやるべきことは。


先月「講道館杯」が無観客で開催。帝京平成大から、昨年インハイ2位の81級の老野選手が出場。BS配信で応援したが、延長戦での指導での惜敗は残念無念であった。

今大会は、コロナの影響で学校毎の感染状況次第による練習と調整不足の格差を感じた。

今後、無観客でのモチベーション、三密回避のコーチィング、最少人数の大会を想定し、試合運びや準備を整える必要がありそうだ。

ここにきて、年明けに千葉県選手権大会、2月は関東学生体重別選手権が予定された。感染拡大が不安だが、帝京平成大が大活躍の新風を巻き起こして欲しいものだ。

大学柔道は、指示待ちの高校柔道と違い、自主性を重んじる世界。何をどう克服するか考え、行動するかどうかは自分次第だ。

息子は、今度こそ95㎏前後の体重を102~3㎏まで増やし体幹と持久力を鍛えて、本番には100㎏以内に絞り込む体づくりを目指すようだ。

毎日、自炊の肉料理と4合飯を食い続け、菓子・糖質飲料も一切取らない息子に、弊社の自信作「四季の塩」を使わせ、遂に彼は食いトレと筋トレのマニアと化した。

現在は98㎏だが「練習で減り、食べて増やす」を繰り返しながら増量していくと話す息子に一言。頼むから「脳トレ」強化も加えてくれ!


我慢でなく、辛抱の先に希望が灯る!


正直、もうコロナにはうんざりだ。昭和男には、相手の体温と脈を感じる付き合いが懐かしい。リモートとメールだけでは安心できない。しかし今は心配するより、やるべき事を気を緩めず粛々と継続するしかない。

コロナに「勝つ意欲」は誰もが持っている。しかし意欲だけではどうにもならない。最も重要な意欲とは「勝つために準備する意欲」であり、周到に万全な準備以外に勝つ手はない。

我慢の先は不満が残り、辛抱の先に希望が灯る。我々の辛抱が「コロナ終息と東京五輪」を実現!の希望をもち、準備万端の2021年を迎えたい。

比べる過去がなく、我慢や辛抱とも思わずに頑張る「帝京平成大柔道部」。彼らの活躍を祈念して止まない。そして、これからも目が離せない。


■帝京平成大学男子柔道部インスタ

https://instagram.com/t.heisei.judo?igshid=22qtchj1fx7n

■Coyori:自然の恵み「四季の塩」https://camp-fire.jp/projects/view/337549








2020年11月27日金曜日

リケジョは何を考える

 最近、新社会人になった娘の動向が興味深い。今どきの女子と違い、おしゃれや化粧品に全く関心がない。思えば学生時代からそうであった。

理系女子(リケジョ)の典型か、マイペースで融通が効かない。飄々として感情の起伏が希薄。あまり物事に動じないので、脅しても張り合いがない。柔道息子の方が恐怖映画で絶叫し、彼女はそれを見て笑っている。

興味がある事はのめり込むが、それ以外はどうでもよい。卒論のアサリの研究では、夢中で東京湾の稚貝を採取し顕微鏡で調べ尽くしていた。羽田沖はアサリの数が多く、川崎沖は育ちが良いと興奮していたが、家族は「へー」で終わった。

洋服は母親任せで、ノーメイク。先日銀座で待ち合せたが、ごつい体にリュックを背負い大股で歩く娘を、体育会系女子の別人と間違えた。

そんな娘の関心事は、天気予報の「そらジロー」とサンリオグッズ。友人と日テレやピューロランドに、一体いつまで出かけるかを心配している。


リケジョも社会人


建築科の娘は、五輪村の天井を提供した建築資材メーカーに入社、開発部に配属された。最近は、ライバル社の動向も気になってきたようだ。床材や壁材が主力だが、面白いのは柔道場のバウンドする床材。実は柔道場も一つの市場だ。

15年程前の改正教育基本法に「伝統と文化の尊重」が盛り込まれ、8年前から「武道」が中学の必須となった。それで「武道場」の設置が増え柔道床材の需要の波が来たのだ。

総じて開発部は、資材の品質向上と、依頼主からのカスタマイズや、研究・企画開発をしている部署とのこと。早く戦力になれと願うばかりだ。


さて、リケジョの恋愛や婚活は気になるところだが、最近、あられさんのブログ「東大リケジョの婚活記」が話題のようだ。東大卒リケジョが付き合う男性の酷評が面白い。

私見だが、リケジョは冷静に相手を値踏みして「付き合っても時間の無駄」と割り切るタイプが多いようで、娘は今のところ恋愛は他人事のような顔をしている。

近頃、お疲れ娘はソファで寝込んでしまう。息子の独居で飼育解放された家内は、娘との会話が増え「彼女はずっと独身かも」と分析している。

父親としては、娘が自宅の居心地の好さに甘えて何もしないので、早く自立への修行をしたらと思うのだが、どうだろう。

結論は、基準が全く違うリケジョの生き方を、変えようと思わないことにした。この先、気の合う母親と、友達のように楽しく暮らす姿が浮かぶ。会話に入れないオヤジは、家内と娘の「お邪魔虫」にならないようにしよう。


聞いた話だが、これからの女性に「王子様を待たない戦略」があるそうな。従来型の「男に依存」から、自立できる生き方を目指すのは正論だ。

一方で、普段から何もしないオヤジが自立し「女房・子どもに依存」から脱却する方が、もっと正論かもしれない。えっ、それって、私だけ?









2020年11月10日火曜日

本が読めないゴジラ。

最近、通勤途中の読書が苦手だ。裸眼で月2.3冊は読んでいたが、今は読みづらくて億劫だ。

集中力が欠けて、ずっと同じ作業が辛い。友人からは、そりゃ昔からだと言われそうだが、堪え性が乏しくなったのは寂しい。

ながら音楽の感覚で、聴く本「オーディオブック」にしようかと検討中だ。何より手軽だ。

心配は、この先、耳が遠くなること。相変わらず「都合の悪い話」は聞こえないが、家族には適正なTV音量が、聞き取りづらいのは事実。


「高齢者」は「功労者」


平均男子の健康寿命が72歳で、7年後の79歳が寿命。目標は、少しでも健康寿命を延ばし、何らかの介護を要する7年間をどう縮めるかである。

高齢者基準の前期65歳、後期75歳は極めて妥当。強がっても体の疲弊は、その頃に訪れる。扶養家族を抱える私は、前期の過ごし方が重要。

同世代の仲間との切磋琢磨なら、元気も続くが、企業は60~65歳定年や若手の台頭など、この手の話は社内では盛り上がらない。

やはり地域の在り方が重要で、重松清の「定年ゴジラ」のように新興住宅街の30年後には、公園に子どもがいなくなり、あてもなく散歩する定年組が公民館で徒党を組むのだ。

街の模型をゴジラのように破壊する場面や、定年4人組の奮闘記は、今読んでも面白い。


子ども叱るな 来た道ぞ 年寄り笑うな 行く道ぞ


浦安市から届いた「介護保険被保険者証」は地味にショック。この街も20年経過して子どもは社会人となり親は定年ゴジラの予備軍だ。デイサービスの送迎車も目立つようになった。

今更だが、子どもの成長と親の摩耗は並走する。当時、新設の高洲小学校は「老人ホーム」に転用の仕様だし、届いたシニアブックは、老人会、サークル、健康法がてんこ盛り。

ぽっくり逝きたいと言うくせに、病院通いをする面々は、川柳の秀作「クラス会、それぞれ持病の 専門医」になり、皆と対策を共有だ。

手前味噌だが、高齢者の方をよく見て欲しい。皆さん、それぞれの家庭を守り、地域に貢献し、世の中を支えた「功労者」に他ならない。

家族には「オヤジは功労者」との認識祈願。私も、亡き両親への懺悔もあり「後期高齢者」を「高貴功労者」と認識しよと思う次第。大汗。








2020年10月22日木曜日

ミス・ジャパンに参加して。

 先日「ミス・ジャパン」の地区代表が集うビューティキャンプに参加した。今年はミス・アース大会がコロナで中止となり、ご縁を頂戴してこちらの講師をさせて頂いた。

ミス・ジャパンとは、国内限定のミスコンとして昨年から開催され、土屋炎伽さん(太鳳さんの姉)が優勝したことでも話題となった。

ミスコンとは「容姿・スタイル」だけを競うだけでなく、その方の発言、知性、感性など、総合的に兼ね備えることが重要になる。

私は、本当に美しい人とは、自分以外の人を素直に「美しい」と認められる心を持つ人だと伝え続けてきた。今回も同様のお話をさせて頂いた。

美しさの判断は育った環境で異なる。人は今までに積み上げた価値観や物事の判断基準をベースにする。その概念は、簡単に他を受け入れない。

椿山荘の1時間の講演で、無意識下の行動や、好感の法則、固定概念の見直しなど講義した。皆さん熱心に聴講され、少しでも今後の人間関係の円滑化にお役に立てれば幸いである。

講演後、皆さんに弊社のマキアレイべル化粧品をお配りしたが、たいそう喜んで頂いた。ご愛用の方もいらして、嬉しい限りだ。

翌日はミス・ジャパン審査大会に参加したが、華やかなファイナリスト35名からの自己紹介、スピーチなど厳選な審査の結果、ミス岩手の小川千奈(せんな)さんが優勝された。

小川さんは看護学生で、スピーチ・ウオーキング、ボランティアにも取り組む素敵な方だ。惜しくも選考から漏れた方々も、同様の努力を重ねた情熱溢れるファイナリストたち。これからの活躍を願ってやまない。


企業の真価が問われる時代


弊社の取り組みの一つに「ミスコン」の支援があるが、化粧品会社として「健やかに自分らしく生きる女性」への応援がベースにある。

社内の大半の女性社員の声も反映しながら、乳がん撲滅の「ピンクリボン活動」支援。お子様の将来の為に、地球環境保護、貧困、差別をなくす運動「SDGs」活動への取り組みも外せない。

再生可能なパッケージの検討や配送の纏めによるCO2削減。先日は、桜十字病院福岡と「オンライン乳がんセミナー」を開催。加えて活動に寄付するピンクリボンマーク商品も発売させて頂いた。

これらの活動は、お客様のご理解とご賛同があって成し得る。我が社のような中小企業でも、少しでも社会に貢献出来ることを真剣に考えている。

次の世代の為に、快適で過ごし易い社会を残すつもりで、コツコツと取り組みたいと思っている。

SDGsの第一項目は「貧困をなくそう」。これは発展途上国だけの問題ではない。日本でも7人に1人の子どもが貧困で、一人親の子どもは2人に1人が貧しい生活だという。

給食費を払わない家庭と、払えない家庭。世界では、大量廃棄される食材がある一方で、5秒に1人の子どもが飢えで命を落す現実。

これを機に、ちっぽけな自分に何ができるだろうか、と考えても損はない。


■JIMOS企業サイトSDGs情報ページ

https://jimos.co.jp/sp/sdgs/

■マキアレイベル・ピンクリボン活動

https://www.macchialabel.com/Page/about/sdgs/pinkribon/

■ミス・ジャパン SDGs活動

http://www.missjapan.org/sdgs-1















2020年10月6日火曜日

「遥かなる甲子園」から思う

今までの転居生活で、残り続けた書籍を整理したら、懐かしい本を幾つか発見した。特に感銘したとか希少価値の本でもない。

感激を超えて、これをきっかけに感動「感じて動く」の行動にさせた「感動の本」なのだ。

昔の書籍だが、営業時代に読んだ「遥かなる甲子園」戸部良也氏のノンフィクションと、これを山本いさむ氏がフィクションを加えた漫画本の2作品だ。私が手話に興味を持ち、後に美容部員に手話接客班を設置した原因となる本である。

物語は、沖縄に実在した風疹聴覚障害児の「北城ろう学校」が、高校野球に憧れる少年の為に硬式野球部を作り、高野連の壁と戦いながら、甲子園を目指す野球部16人の記録である。

米国で大流行した風疹が、翌年には沖縄の米軍基地外に広まり、感染した妊婦から多くの耳の聞こえない子どもが生まれた。沖縄県は6年間限定の(1978~1984)ろう学校の切ない背景がある。

聴覚障害は見た目では分かりにくく、誤解と偏見や差別の歴史がある。野球でも打球音や、掛け声が聞こえないと何倍も苦労する。

漫画では「福里ろう学校野球部」が甲子園出場を願い、質素な手作り部室と手縫いの補修ボールで、血の滲む練習を続ける。しかし、高野連は「日本学生野球憲章」を理由に登録を認めず、甲子園はおろか練習試合も出来ない現実。

不条理な扱いは、日本聴力障害新聞の記事に端を発し、地方紙、高校野球主催者の朝日新聞の記事へと広がり、ついに高野連は福里高校の加盟を正式に認める。最初で最後の3年生と先生が、沖縄県予選に参加した喜びは想像に余りある。


感心、感激の次に行動するのが「感動」


本来、差別がないのがスポーツ界。野球の「王貞治」が高校時代、日本一の早実ナインの国体の入場行進に彼だけが台湾籍を理由に外れた事実。しかし、20年後の1977年、日本初の国民栄誉賞に輝くのは、嬉しい歴史の変遷でもある。

王貞治の著書「飛べよ熱球」も感激の本。756号のHR世界記録を放った時、ホームベースで迎えてくれた張本選手の歓喜の姿が一番嬉しかった、と王は書いている。国籍問題の逆境を乗り越える者同士の想いが伝わる。


人々の普通とか通常とは何だろう。障害や差別を抱える方を特別や異常と捉えずに、その人の個性であると、誰もが認識する世界になって欲しい。

手話では、左手の平に右手の人差し指を置いて、ぐりぐりと動かす動作を「一生懸命」とか「努力する」という。手の平に穴を開ける、壁を突き破るという思いを込めた表現である。

そして、諦めないという表現は、否定形ではなく「努力+続ける」努力の動作に、歯を食いしばり、目を見開く動作を加える。全てに人々の思いが込められている。

何と素晴らしい表現だろう。この表現に出会えたお陰で、TDLのミッキーたちが、聞こえない子どもに「手話で歌い語る」ことにも気付けた。

そう、そんな時は、心を込めて左手の甲に右手で軽くたたき、片手で拝むように上げよう。

心から「ありがとう!」の表現である。









2020年9月24日木曜日

諦めない心

総理交代で早々に人事も決まったが、会社のトップ交代も同様で空白は許されない。大手企業は、経営のトップ層が同じ場所に集結する際は、別ルートで移動する。天変地異などで不幸が起きたときに、どちらかが生存する為だ。

花王出向時代、年一度の取引先への展示会の販社社長挨拶の原稿が私に回ってきた。「何故、私に」と尋ねると、西日本会場の社長欠席事態の代替2番目ですの回答。社長欠の事態では先ず関西支社長、次が中四国の私になる。さすが危機管理を徹底する花王。念の為、原稿を熟読したが出番はなかった。


政府は災害時、生存に必要な指定品目の速やかな生産をメーカーに要請している。飲料水、食料、毛布、粉ミルク、おむつ、簡易トイレの他に、衣料、日用品などの指定企業は、生産ラインを分散し、短期間の供給体制を整えている。

コロナは感染予防なので、災害指定以外の物資が不足した。知り合いの医療用品会社の方が、感染を覚悟しての夜通しの病院廻りは疲労困憊だが使命感に燃えている、と話してくれた。医療従事者を取り巻く方々にも頭が下がる。

他にも多くの人が弛まぬ努力を重ねている。共通は「使命感と諦めない心」の持ち主だ。言葉では簡単だが実践は容易でない。プロの使命感は何となく分かるが「諦めない心」は、コントロールが難しい。

諦め方は様々だが、目的への手段が最適でなければ潔く諦める。私も色々と諦めたが、自責の諦めは自分を不甲斐ないと後悔するし、他責の諦めは人のせいで気楽だが悔しさは倍増する。ならば、諦めでなく次の手を打つだけと、切り替えたいものだ。


諦めきれない思い



「諦めきれない思い」の一つ失恋。一般的に女性は失恋を「上書き保存」するから直ぐに忘れ立ち直りも早いが、男性は失恋を「フォルダー別保存」するので、辛さの足し算でウジウジ引きずるらしい。

諦めない気持ちは大切だが、世の中には努力や反省を超え諦めるしかない場面もある。進学できない子ども、続けられない道、望まない別離、数えたらキリがない。その原因も災害、事故、貧困、倒産、病気といった不条理が大半だ。

しかし、諦めた数だけ違う道が出来るのも事実。これを運命として異なる道を受け入れ、目的を軌道修正しながら切り開くしかない。

16年前の会社崩壊で、逆らえない諦めを嫌ほど味わった。一方で人生の目的に「家族と仲間を守る」を加える余裕ができた。当時、出世頭とおだてられ滅私奉公と承認欲求の私には分からなかった。

それまでのギラギラの自分から、脂が抜けた瞬間だった。会社は崩壊しても、そこにいた仲間も、家族も変わらずに存在してくれる。己の生き様に「何でもない事が幸せ」と「大切な人を守る」を肝に銘じたら、諦めない心も変化した。

「大切な人を守る」には覚悟がいる。我が身より相手の命が重いと決意して始まるからだ。それも、血縁の親子愛以上に、夫婦愛と子弟愛の方が重いと心得るとのこと。

今更、臆面もなく「家内の為なら死ねる」とは言えないが、大切な人を守ることを「使命」と決めたなら、文字通り命を使って全うするしかない。

「使命感とプロ意識と諦めない心」…ええカッコだが、目的を見つけたら、これが必須条件になるのは当たり前なのだな。汗。










2020年9月5日土曜日

勝手にリセットされて。

マスクで口紅は売れないし、旅行の予約も支度も不要。観光・観劇・飲み屋は絶体絶命。在宅でゲームは盛況。巷はコロナより「新型潔癖症」が蔓延、消毒剤のない施設は入れない。

大学は後期も学内授業は中止だが、授業料は払うのだ。未だ大学を知らない1年生。4年生の就活と企業側の運営も深刻の一途。今は、色々並べた現実を受け入れるので精一杯だ。

人々の生活は、従来の常識も価値も通用しない。非常事態宣言は、正常があっての異常だが今は、この状態を正常としてどう過ごすかを考える。

ワクチンや特効薬の量産まで、この生活は続くだろう。加えて、暦ではあと4か月で今年が終ってしまう。コロナの半年は、あらゆる行事を中止にさせ、全てをリセットさせた。


幸せのお裾分けに感謝



そんな中、先日社員の結婚披露宴に出席させて頂いた。新婦は新規事業で大活躍の気が利く「切れ者美女」である。コロナでの延期を経ての準備万端には頭が下がる。

1卓半数の配席と徹底衛生のもと、盛大で素晴らしい披露宴であった。当然、会食やセレモニーはマスクを外したが、全体に気配りされた新たな婚礼スタイルにも感動を頂戴した。こんなステキなお二人に「幸多かれ!」と願うばかりである。


こうした多くのリセットだが、喜怒哀楽の場面で、握手を交わす、時には抱き合う、背中を支えるなど、血の通う行動まで規制するのはあまりに悲しい。私自身、披露宴の帰り際に、ご夫婦と握手を交わしたが、これが過剰なら寂しくなる。

「体温を感じる触れ合い」があるから、仕事も遊びも喜びが高まるのだ。それを忘れず、コミュニケーションと予防の在り方を模索するしかない。


「生産性のヒト」から「生物としてのヒト」へ



実はコロナ禍でも良い話もある。一つ目は、世界中の経済制限でCO2排出が激減、インドで数十年ぶりのヒマラヤ眺望など、地球上の大気汚染が劇的に改善されたことだ。汚染空気で絶滅危惧の生き物には、まさに「救済措置」となる。

2つ目は、在宅でのいざこざが増え「離婚率」が上昇と懸念されたが、4月以降の離婚は何と3割も激減している。衝突した時間以上を共にすれば「修復の時」になると信じたい。

私も家内との会話が増えた。この機に仲が深まるコツは、自分が話すより「聞き上手」になること。さて、その成果だが「傾聴力」次第なので、お互い努力を怠ることなかれだ。


心底憎きコロナだが見方を変えると、経済視点の人の在り方「生産性の人」から「生物としての人」に立ち戻れ!の啓示を込めた「自然界」の仕業なのか?と妄想してしまう。

ならば肝に銘じますから、酷な神のご意思よ、コロナリセットを!…合掌。

今を楽しむ生活を!









2020年8月22日土曜日

機を見るに敏!

「機を見るに敏」はビジネスには必須のスキル。特に新規開発には欠かせない。市場動向やマッチングのチャンスに目端が利くことで、ここと思えば一気に行動に移る。躊躇すると機を逸する。

最近「機を見るに敏」案件に出会いスタッフ総出で奮闘中。昨年は守りに終始したが、新たな模索は気持ちが高揚する。面白ネタは時期が集中するので、機敏な対応に追われる。


うまい話にゃ裏がある?



私の拙い経験だが、色々動いてビジネスに成就する確率は高くない。過去連続成就の奇跡もあったが、通常はヨタ話も含め100件中2~3件程度が可能性あり。それに話が大きすぎると成就は難しい。国家間の案件、産官学や利権絡みの話は尚更だ。

以前、ある発展途上国の方から、漁獲の魚が自国でうまく流通しない。漁師が海上で捕獲した魚を、日本漁船に高値で直接取引してしまい、港に卸さない。そこで何とか「漁業組合」を作りたいが手を貸してくれと相談された。なぜ私に?と面食らった出来事だった。

私への要望はディレクション。本来の業務もあり、何やら横やりも入りそうでお断りした。中東の産油国の場合は、おにぎりと寿司の握りマシーンを繋いだが、工場建設、レシピ開発と話は広がる一方。不得手は介入せず繋ぐだけにする。

この手の話は、総合力の大手商社に集まるが、出所次第では私にまで飛んでくる。中東の話もスポンサーは皇太子でも、遣わされた使者は、先ず親しい日本の知り合いを頼る。問題は、使者に決定権もなく、事業の理解不足から丸投げするので、遅々として進まない場合が多いことだ。


ことを成すには、一点突破!



物事は、大きく一気に成功させようと欲張らず、小さくても確度の高い事に絞り「一点突破」で成功させることだ。成功で得た信頼関係で、点から線、面へと広げる。大物狙いの投網より、小魚でも一本釣りで捕獲しないと意味がない。

新たな商売を本業にプラスで、0か1の世界に踏み込むのは容易でない。それには「何を考えるか」より「誰と話すか」が最も重要だ。ネットワークが成功の鍵。異業種や事業に精通した方との情報交換から、新規ネタを拾う。そして決め手は、ご縁を喜び合える関係性の有無だ。

その為には、深く広いネットワークを築くべきだ。出会いを大切に「生涯の友」として付き合う。友の頼みなら損得なしで汗を流せる。手に余れば迷わず他の方に繋ぎ、お任せする。不思議と繋いだ方が新たなネットワークに加わる。


私の嫌いな言葉は「やったことがない」「ダメだと思う」「無理」…困難からの発想の答は「諦め、止める」しかない。逆に好きな言葉は、可能性からの発想の言葉。

成功者の歴史をみても「絶対に諦めない」が共通項。当たり前だが、諦めないから失敗しない。失敗しないから成功の可能性が残るのだ。

ネットワークは大切だ!













2020年8月8日土曜日

教えを貫けるか。

思えば会社人生42年、実に16回の転勤と職歴を重ねた。カネボウ化粧品静岡販売の代表取締役就任で正社員籍を外され、嘱託社員として退職金を精算された。入社19年の退職金ではと落胆したが、逆に42歳には破格の年俸契約に驚いた。

当時は、選抜者1か月の合宿教育を経て正課長、次に全国事業場長と本社部長の嘱託化がカネボウ流の幹部育成。経営者の視座を培うには最適だ。

まず、月次支払いの最初の承認が己の費用。「〇月度経営指導料」と書かれ、私の報酬と係る経費も記載されており、この書類に自分が自分に支払いの印鑑を押すのである。

毎月、経営指導料に値する行動と成果なのかを自問自答させるのだ。これはきつい。新米の私は、業績の未達月度の押印を拒否したことがある。

数日後、財務役員から電話「タナベ、何かっこつけてんの、支払いが出来ずに困ってんだ。嘱託は年度更新だから通年での評価。月度で一喜一憂するな」と一喝。中長期での成長を仕込んで、足元をどうするかの視座を持ったのもこの頃だ。

こうして、化粧品は昼夜を問わずの達成軍団として、驚異的な数字を挙げていく。しかし、これも労働環境の変化と花王へのグループ化に伴い嘱託社員制度は廃止となる。



次第に鐘紡は「正しく行って、何人も恐れず」の教えを忘れていく。上場を維持するため債務超過を隠し粉飾決算に手を染め、2001年の発覚から崩壊の道を突き進むことになる。

繊維部門を筆頭に業績悪化の流れは、縦割りの弊害と合流し怒涛の濁流となり、鐘紡は漂流し飲み込まれた。徹底教育された「論語の規範」は一体何だったのか。悔しくて涙が出る。


速やかにならんを欲するなかれ、小利を見るなかれ。



鐘紡幹部の致命教室・論語の教え。事を急げば達せず、小さな利益にとらわれると大事成らず。目先に惑わず先を見据えた視点を持て。この教えを、我々は単に知識だけに留めてしまい、結果的に絵空事となったのは、皮肉な話である。

迷走からの学びは、経営者が「将来のビジョン」を語り続ける大切さ。若手の帰属意識の希薄を嘆くより、させられない経営者が課題なのだ。

社員が時の権威に屈せず、正道を貫ける風土を作り、その風土を「社風」にする評価制度にまで進化させられるか。せめて老兵は、これを伝え続けなければならない。

コロナ禍の「まさかの坂」はまだまだ続く。故に多くの教えを胸に、目先の小利に惑わされない将来像を、繰り返し語り続けたいものである。

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」…深くて重いビスマルクの教えである。











2020年7月22日水曜日

今は、謎の会話を楽しむ!

今、東京が怖い。夜の新宿は以ての外だ。私の会社が新宿と分かると、相手は少し不安な表情を浮かべる。私は「会社は都庁前で、歌舞伎町ではないですよ」と笑う。すると相手は少し困った顔で「いや、全然、大丈夫ですから」と苦笑いする。

私は、何が大丈夫なんだろうかと考える。…感染者かと疑っていませんから、怖いけれど我慢しますから、わたし絶対に感染しませんから…どれが本意か分からない。

そもそも「大丈夫」の意味が分からない。嫌なの、遠慮なの、任せろなのか理解に苦しむ。最近の会話で連発する「大丈夫」という表現が謎だ。

上司が部下に「今晩、飲みに行くか?」すると「大丈夫です」と部下が答えた。「お誘いには感謝だが、イヤ」なのか「予定がないので、行きます」なのか、私には分からない。

娘に聞くと、大丈夫の前に発する言葉次第かも。「あ、大丈夫」「い、大丈夫」う、え、お、と並べるが、やはり判断不能。「いや、大丈夫です」なら嫌だと察する。断りの気遣いか知らんが、頼むから曖昧な「大丈夫」は止めてくれ。

こんな曖昧さで「ありよりのなし」などの若者言葉が出現したのか。有り寄りの無しは、肯定寄りの否定らしく、優柔だが「大丈夫」よりは理解できる。そう、今後は「今晩飲もうか?」と聞いたら「無し寄りの有り」と答えて欲しいもんだ。

もう一つ、息子のLINEの「り」「りって何だ?」「了解の意味だよ」…すかさず、了解とは目上や上司が使い、部下や年下は「承知しました」だと説明。すると一呼吸置いて「承知しました」の返信。これで「り」なら「ぴえん」だ。


多勢に無勢は昔の話だ



こんな認識の違いから格差や差別は助長される。コロナ禍の「東京差別」のように、未だ収まらぬ感染者に、東京生活者は肩身の狭い思いをする。少数派の排除は差別の現象だが、戦時中の平和論者のように少数派が正しいという歴史もある。

マスクをしない人、陰性の濃厚接触者、自粛しない飲食店、医療従事者に対し、危険を遠ざけたい多数派。それが高じて過剰な排除行動が、差別に発展する怖さ。

先日、そろそろ福岡に行きたいと伝えたら「無理しないで下さい。リモートでも大丈夫です」私「それって来るなってこと?」福岡「そんなことないです、GoToキャンペーンも使えませんし…」私「俺、浦安だから関係ないよ」「…」この会話。福岡の彼は東京差別でなく、私の身を案じての発言と信じたい?笑。


人種、民族、障害、貧富など、単なる個性であり多様性と心得たい。現実は多数派をターゲットにする社会だが、マイノリティーを尊重する社会にすることが最も重要だ。

スキンヘッドで頑固、口だけ達者な高齢者、私はまさにマイノリティ。せめて私に出来るのは、これ見よがしに「SDGs」のバッジをつけて、声高に格差是正を標榜するとしよう!

若者とご満悦の翁








2020年7月4日土曜日

未見の出会いに乾杯!

私の知る限り、大学は前期の学内の授業はなくなった。リモート授業、レポート提出、テストなどが単位取得となり、自己管理に苦労する。

スポーツ科の息子が、毎日、課題提出に追われる姿に、正直驚いた。柔道部は練習を開始したが、校内の滞留時間の縛りもあり、本格的な練習は少し先の話。この機に息子は、市川の泉澤先生のピラティスで体幹強化にも励んでいる。

大学柔道も大会は全て中止。三密の少ない屋外種目は救済の試合もあるが、組み合う競技は望めない。小野監督率いる柔道部は暫く辛抱だが、一日も早いガチ練習が始まって欲しい。できれば創部「帝京平成柔道部物語」を掲載したい。

娘は、先月下旬から出社開始して本業の耐震天井の実験法を3日目に理解したらしいが、それ遅すぎ。リモートとはいえ学校と違う。教えを待つのでなく能動的に質問しまくれ!と。

原則は入社1年目は疑問を残さない。そもそも疑問すら湧かない、2年目もショボい質問しか浮かばないなら、早く辞めた方が良い。弊社も新入社員が見習い中だが、今の仕事に興味と好奇心があるかが最大のポイント。


「有難う」の反対語は「当たり前」



選んだ会社で将来何をしたいか、その為に何を身に付けるかの絵図を描き、仕事に取り組まないと楽しくない。楽しくなければ続かない。これは大学生も同じで「あすの姿を思い浮かべて、今日を生きる」という考えを忘れてはいけない。

思い通りにならずとも成長の努力は、間違いなく自分への保険となる。そして、理想と現実のギャップのストレスと上手に付き合うことだ。

医学的なストレスとは「こうなりたいのに、そうならない」状態。昼、カレーを食べたら、家の晩飯もカレー。これもストレス。つまり「よくある話」と捉えるしかないのだ。

コロナはストレス以外の何物でもない。先日のTDLの再開に、狂気乱舞のファンを見ると、昨年は当たり前の開園が、感謝に転じる。ストレスを感謝に変えた好事例。激混みが当たり前の京葉線に戻るのは少し怖いが?。

自粛こそ、当たり前を感謝にチェンジ。人生の前半は習得期間で積み上げの足し算で、後半は得たものを使うだけの引き算と言う方がいるが、冗談じゃない。死ぬまで、失う以上の足し算だらけだ。

この1年、ジモス社員との泣き笑い、前職の友との付き合い、再会からの進展、そして新たな出会いと、喜びが続く限り、テーマの「出会いは人生の宝」の足し算は終わらない。

明日に向かって撃て!
















2020年6月25日木曜日

僕らのヒーロー!

コロナで、TV放送が様変わり。出演者はリモート参加、番組制作もままならず、過去の映像の再放送が多発。スポンサーからの収入減もあり、使いまわしは仕方ない。

この時期、マス宣伝の投下を見直す企業も多く、放映予定のTV・CM枠が空くと、ACジャパンと番宣に差し替えられている。視聴者はどこの企業が飛んだか気になるところだ。

経済再開は嬉しいが、第二波の警戒と中止した行事は元に戻らず、経済的ダメージと、需要の拡大と縮小する市場の構図は当面変わらない。

化粧品事情は、小売りと通販で異なるが、共通項はマスク顔でメイクは激変。自宅で毛染めは大盛況。盛況といえば美容整形外科。術後の在宅勤務はプチ整形には絶好らしい。

TVのCM考察も一興だが、そもそも最近はTVを見ない人が急増。これを機に、マス宣伝の在り方は急激に変わり、ユーチューバーとアフィリエイトが神様になるか。しかし昭和世代はTVのヒーローが神様で「8マン」シール付商品を買い漁った私は、少し腑に落ちない。



子どものヒーローは永遠!



実際TVの再放送は数年前のドラマが多い。私は大昔の歌番組を見たいが、最近の懐メロは、昭和から平成に移行らしい。もはやTV界では昭和30年代は絶滅危惧種だな。

一方、若者は再放送の初見よりYouTubeが面白く、私には再放送のターゲットが見えてこない。年輩者向けコンテンツなら、涙流して食いつくのに一向に再放送してくれない。

1964年(昭和39)の東京五輪で普及したTVの影響は計り知れない。大きな屋敷に巨大冷蔵庫、贅沢な暮らしに憧れた米国のホームドラマ、奇想天外なSF、日本番組は、人情物からヒーロー物など、高度成長と共に影響力も増大していった。

私自身、当時の主題歌からナレーションまで丸暗記。パティーデュークにドキドキ、逃亡者にハラハラ。ヒーローは月光仮面から007へと変遷し、漫画全盛時は「あしたのジョー」に「巨人の星」と語り出したら切りがない。


先日、息子に「年を取ると流行りに疎いのは何故だ?」と聞かれた。逆に息子に「当時の戦隊ヒーローはデカレンジャーだろ。今の戦隊は?」と尋ねる。「知らないな、今は鬼滅の刃だよ」「だろ、流行に疎いのでなく年代ごとに変化するだけ!」と答えておいたが。

一つだけ明確なのは、全てに興味を失い感動しなくなったら、人生終わりということだ。「大人の爆買いや、ディアゴスティーニに乗せられてるうちが花よ…」と、言いたい。

そうだ!このセリフを家内に向けて、先日、全巻爆買いしてしまった漫画「がんばれ元気」と「柔侠伝」の言い訳にしようか⁉汗。

永遠のヒーローたち!










2020年6月6日土曜日

感応と官能とAIと。

4月に社内に新部門設立したが、在宅勤務で奮闘中。転勤者の引越しも延期で未だ東京事務所に全員が集合できず、コロナが恨めしい。

友人の会社も、人事異動や新入社員の受け入れ変更で大変そうだ。新人の娘も在宅継続で、業務もないのに給料だけは頂戴して、正直申し訳ない。

企業は、ニュースタンダード・新常態を検討。雇用、清潔、在宅勤務、勤怠管理、マネジメント、販促対応、事務所の在り方など課題は多い。

一方、在宅勤務では出来ないこともある。弊社だと、コールセンターは在宅では不可能。加えて、化粧品の開発、品管は、色・匂い・感触など商品に触れての打ち合わせが多い。これは画面越しのリモート会議では不可能だ。

物づくりで、感触や香りの確認をすることを「官能検査」という。食品や製品には欠かせない基本的な検査で、人間の五感で品質特性を調べる。最後は人間の感覚に頼るのだ。

勿論、処方、安定・安全などは科学的な分析だが、テイストや感触の評価は人間しか出来ない。「感性」鋭い人が「官能試験」で「感応」することが最重要。製品以外、恋愛も友人も選ぶ決め手は「互いが感応」しなければ話にならない。


血が通う人間ならどうする?



急速に進化するIT(情報技術)とAI(人工知能)業界。ITで分析しAIで的確な対策を得る時代だが、それだけでヒット商品が生まれ、市場を圧巻できるなら苦労しない。

AIの神様・北大の川村教授と話すと、何をどう活用するかの明確化と、データ自体の重要性がよく分かる。何となく良さげだから導入!は最悪だ。

米国の会社で、AIでの採用活動を試みたが上手くいかなかった。過去の採用データをAIに学ばせ、採用を判断させたところ、何と過去の人種差別の傾向を学んでしまって「過去の白人偏重採用」の出現に経営層は驚き、導入を諦めた。活用の危うさを思い知る事例だ。


先頃、漫画の神様・手塚治虫の作品をAIに学ばせ、手塚治虫の発想・構成・登場人物を徹底的に学習させ、人間とAIの共作漫画が話題となった。近未来の東京を舞台にした管理社会に挑むホームレスの哲学者「ぱいどん」の事件解決の物語。

手塚治虫にどこまで迫るか見ものである。この作品の近未来とは「鉄腕アトム」が誕生した2030年と同じ設定なのだ。AIと人間の仕込みは、実は心にくいのだ。

今後、経営の神様から、営業の神様、学者の神様など、あらゆる分野の神様から学んだ「天才AI」が、社会にどう反映されていくのか。

天才の替えはない。ゴッホの絵はゴッホしか描けず、松下幸之助も唯一無二。だから徒弟制度は、師匠に近づくため傍らを離れず五感で学び、盗み、精進し自分流に昇華させる。

人間の学習能力は、ITとAIには到底かなわない。だからこそ、活用の設計図は我々人間が描くのだ。そして「官能検査」で五感が感応するまで昇華させて、AIに血を通わせるのだ。

お茶の水博士を目指す!








2020年5月29日金曜日

元に戻らないなら。

ニュース性もあり「夏の甲子園」中止が報道された。TV取材の野球部員の声に胸が痛む。全国14万の球児の救済をマスコミも訴える。私も地区大会だけでも、と願う一人だ。

只、無念なのは高校野球だけではない。球場で母校を応援する吹奏楽部の「全国吹奏楽コンクール」も、チア部の「チアリーディング大会」も中止になっているのだ。

高校総体(インハイ)30競技120万の生徒が練習を重ねてきたが、全て中止となった。加えて、全国中学大会、小学生大会、大学の大会など全て中止となり、一体どれだけの学生が「残念無念」の辛酸を味わうだろう。

学校は再開するが、元に戻らないのは「消滅した行事」。自分だけ不参加は悔しいが、全員が失った目標と諦め、早く気持ちを切り替えて新たな一歩を踏み出せと切望する。


今は、明日に備え「力を蓄えろ」



細菌の無差別攻撃は、我々の価値観を大きく変えた。経済活動は生存に支配され、様々な格差の露呈と、娯楽などの幸福感の定義をも変えた。

多くの企業が、業種毎に大幅な軌道修正を迫られる。生存の次は、会社の存続をかけた無駄の排除と新たな「働き方改革」を模索する。

新常態と市場の探究に迷走したら、一旦「消費者」分析の視点を離れ「生活者」の一人として再考察せよ!を思い出す。ならば、生活者として我が家の変化を羅列してみる。

・全員が潔癖性に変身。・TVよりYouTubeに熱視線。・メイクを忘れた娘とマスクメイク確立の家内。・娘ダイエットを自覚・買い物と料理で家内お疲れ。・息子は大学も柔道部も待機中で「ピラティス」で身体作り中。・スマホ息子は大学の課題提出でPCシフト化。

当の私は・無理な運動でギックリ腰に。・昼の食べ過ぎ警戒警報。・在宅とリモート会議で「魂」抜かれる。・仲間に会いたいモードMaxに。

まさに我が家でも、志向・思考・試行・嗜好の変化が面白い。そう、週明けに「今後を探るリモート会議」を開催し、知見を深め力を蓄えよう。

友の教え『何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ、やがて大きな花が咲く』を噛み締めた。(近代柔道:松山三四郎コラム・作者不明)

withコロナ…








2020年5月4日月曜日

去らない嵐はない。

非常事態が延期。舞浜駅からTDLへの通路が閉鎖され3か月目、実際に目の当たりにすると何とも寂しい。未だ舞浜駅の発車のメロディがTDL仕様も、寂しさに一役買っている。

最近の街並み、在宅、WEB会議にも慣れたが、やはり虚しい。娘も息子も会社・校舎も知らぬまま待機で、とにかく一刻も早い解放!が本音だ。

戦後派は、ある意味「辛抱」をしらないと言う。戦時中、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…と、空腹と空襲と喪失の辛さを、じっと胸に抱き耐えた姿を「辛抱」というならば、今は辛抱でなく「我慢」状態なのか。

「思うようにならない」他責にして我を張ると「我慢」になる。我・慢心は、元来堪え性がなく疲弊する。そこで、我慢でなく「辛抱」の定めが巡って来たに切り替えたい。そして不満や愚痴は万人共通。嘆いても始まらない。

生来、人間は孤独では生きられない。今は電話・WEB・家族・友人との対話を増やし「辛抱」を共有することだ。コロナの次は、疑心暗鬼・中傷誹謗・心の不健康の感染防止だ。

明けない夜も、やまない雨もない。



知り合いの医療関係の方は「感染」覚悟のうえ、腹を括って業務を遂行している。他にも、食を担うストアやスーパーも、それに関わる物流関係者も休日返上で、日雑部門の友人も食品と物流の応援で奮闘中である。

今を働く苦労と、今は働けない苦悩。憎きコロナは「ビジネス、雇用、生活」を勝手に分断させてしまった。この不条理も忘れてはいけない。

多くの犠牲と苦難を知る度に「明けない夜も、やまない雨も、過ぎ去らない嵐もない」と言い聞かせ、現在の家族の無事に感謝するしかない。

今は、事態が終息したら「何をしようか!」…と考えながら手ぐすね引いて待つとしよう。

今は辛抱するとき。




2020年4月9日木曜日

未知を乗り越えて!

弊社は、昨夏まさかの事態の対応に追われながら、激動の2019年度が無事終了。この4月から準備万端で新年度をスタート。ところが「まさかの坂」はまだ続く。そう、世間を騒がす、憎き新型コロナウイルスである。

今はこの難局を乗り切る時で、コロナ以外を語る余裕もない。我が社も矢継ぎ早に、社員の護持、在宅勤務の拡大、会議の中止・延期に追われる。

今後、働き方の円滑化と業績見通しが課題だが、友人がいる旅行業界のビジネス消滅より、恵まれている。多くが死活の事態だが、今は「生存」への解決を優先するしかない。

娘の会社は入社式は動画配信で、自宅に送られた会社PCでWEB研修を実施中だ。娘は未だ職場を知らずに勤務。私もWEB会議で思うのは、直接集まり対面で議論する深度には適わない。音声・表情など相手の微妙な変化が察知できない。

先行き不安を越えて、今後収束が訪れた時に得るものは何か。コミュニケーションの在り方、網の目の経済連鎖、デマの功罪など、あらゆる事実が貴重な知見となるに違いない。


一人のねがいを万人のねがいに




濃厚接触の排除は人々の喜怒哀楽の場も奪う。経済的損失以外に人の心が枯れていく。せめて、人と人の間「人間」としての思いやりと配慮を忘れず、電話やメールにもウエットな気持ちの一声プラスを意識するのは重要だ。

感染防止に完璧な正解などない。ある意味「ケセラセラ」と開き直ることも必要。勿論、非常事態は「真剣」に取り組むが、気持ちだけは「深刻」にならないことだ。


思えば、1964年の日本五輪は、日本の復興を世界に知らしめた象徴的行事であった。そして来年は、世界の国々が、新型コロナに打ち勝った証の「金メダル」を掲げての参加となる「歴史的祭典」になれば、震えるほど感動するに違いない。

一日も早い終息と、社会の正常化は万人の願い。それは一人一人の願いの集大成でしか成就しない。「一人のあゆみを、万人のあゆみに」(ねがい…坂村真民)の言葉通り、非常事態からの脱出は、おのれ自身の歩みにかかっている。

未知との遭遇…。







2020年3月17日火曜日

安田柔道部⑩(最終編)

安田柔道部のブログは、息子たち3年生を送る「三送会」で終了となる。先輩の別れに涙したばかりだったが、早いもので1年が過ぎた。

ところが、三送会が新型コロナで中止となった。後輩との試合、決意表明、保護者への花束もなくなった。卒業式は娘と同様、終了証書配布のみだが、郵送よりは恵まれている。

我が家は、子ども二人の晴れ姿が見られず、誠に残念だが、何より子ども達が不憫だ。しかし物は考えようで、後々、生涯忘れ得ぬ思い出となり、別離の儀式がない分、固い絆のまま、生涯の友となれば嬉しい限り。

柔道界も大会・練習の全てが中止で、息子の引越し、柔道部の始動、入学式など変更前提の準備となる。息子に限らず全ての方が行動を制限され戸惑うが、インフルエンザの激減や、家族との会話が増えるなど悪い話ばかりでもない。

今は、国・企業・学校・個人が総力戦で「目に見えない敵」と戦うしかない。一日も早い終息には細菌に「勝つ意欲」は当然で、重要なのは「勝つ為に準備する意欲」と心得たい。


安田学園柔道の3年を振りかえり



思い出一つ目は、個人戦の増地主将の全国3位。全員で声を枯らした鹿児島は忘れられない。二つ目は、昨春の選手権・団体戦の全国出場の決定戦。引き分け延長・代表戦の末の惜敗は悔しすぎて、今も強烈に記憶に残る。

三つ目は、ロシア・チュメニ国際ジュニア大会の金銀銅メダル獲得。16歳限定の国際大会でメダルと共にロシアから賞金が出たのには驚いた。他にも、東京都学年別での国士館との決勝戦、金鷲旗の熱い福岡など、数えあげたらきりがない。

手前味噌だが、強豪ひしめく東京の上位は、今までの鍛錬が決して無駄ではなかった証。しかし本人たちは「悔しい!」の一言しかないだろう。

川合先生は、彼らにハードな練習を課せた。乱取り後、そのまま走り込み、筋トレと追い込んでも「決して弱音を吐かず、食らいついた」と先生は嬉しそうに話してくれた。


純粋で不器用な「時代遅れ」であれ!



夏以降、一般受験組は部活は休止、柔道進学組は柔道部継続に分かれる。ただ、全員に共通するのは坊主頭だった彼らが、念願の髪を伸ばし始めたことだ。

勿論、柔道部活動が耳障りのよい話ばかりではない。ブチ切れ場面や衝突などハラハラしたが、全てが一生懸命が根っこにある所以と、今なら笑い飛ばせる。

無事、卒業生7名は大学も決まり全員が柔道を継続する。部活解散日に、7名全員で最初で最後の休日を過ごしたようだ。「皆んなで、ボーリング、しゃぶ葉、映画のはしごが、何より楽しかった」と語る彼らには「微笑ましい」以外の言葉が見つからない。

一途で不器用な安田柔道部の七人の侍。大学でも愚直な「時代遅れの男」でいて欲しい。飾った世界に流されず、中途半端に妥協せず、悔いのない精進を貫け!と心から願う。


そんな彼らに河島英五の「時代遅れ」を紹介したい。「男が男に惚れる」ような生き方に憧れる。古い唄だが、いつか酒を酌み交わし息子と歌いたい唄である。

一瞬一所一生を懸命に!











2020年3月3日火曜日

のど元過ぎれば(後編)

今、世界を騒がすコロナウイルス。感染すると喘息や糖尿病者は重症化するらしい。免疫力低下も怖い。予防以外に「健康体の維持」は最善の対策でもある。コロナの最中だが、今こそ健康体への願いを込めて、おバカさんぶりを紹介したい。


糖尿病の克服は苦労した。何せ、肥大した胃袋が減量で「胃が縮む」体験までした。当初の食べたい病が、そのうちお腹が痛みだし、医者から適正な胃に縮みはじめたと言われた。よく分からんが妊婦さんが出産後に、子宮が縮む痛みと同じらしい。家内には「それは痛い」と苦笑されたが、これで旺盛な食欲が萎えたのは事実。

ところが、また食べ過ぎたおバカさん。息子の増量作戦は前菜に大量の「鶏の唐揚げ」登場。家内は「これまで我慢できたから、コントロールできるわよ」の一言。しかし、堪え性のない意地汚さで、揚げたてをつまみ食いするおバカさん。

何事も自分に「あま~い」が最悪。


まさに「その一口が豚になる」。息子用なのに、我慢できない不甲斐なさ。苦労を忘れ、すい臓は正常だとの過信、これぐらいは大丈夫の慢心が招いた結果である。徐々に体重が増加し案の定、1年足らずで糖が出始めたのだ。

戒めを込め、当時の闘病記録表を出し、毎朝図る血圧計の横に置いてみる。必要以上のカロリーは、過剰なインスリンをすい臓に強制し体重が増え、やがて破損。要は、余分に食わず、食事の質を変え、運動し、自力で克服するしかない。

息子の体重は維持の段階となり、減量メニューを徐々に復活。併せ、家族からの減量強制の口撃も始まった。休日の夕食後は誘惑の時間。「卑しい、懲りない、ぼけ老人?自分に甘い」など「腹が減る」より「腹が立つ」指摘を受けている。

退院時の医者の名言。食事は「残す・断る・やめる決断。それは誰でもない、自分に帰結」そして「満腹感でなく空腹感を癒すのが食事」…全ておバカさんは忘れている。

20歳の体重が決め手か


重要なのは、20歳前後の体重で、その体重にあわせた「骨格と臓器」が形成されること。その後の体重の増加分が、臓器や骨格に負担を強いる。太りすぎで膝が痛いは、よく聞く話。

私は、20歳で60K体重が、53歳で90Kで延べ20年で150%の負担増で入院した。100Kが120Kの人より、臓器は悲鳴を上げていたのだ。心当たりのある方は、本気の減量をお勧めする。

今は、やっと75Kまで戻したが、まだ20歳からみて125%負担増の状態で、おまけに加齢の65歳。再び、空腹感を癒すだけの食事に取り組む、崖っぷちの「おバカさん」である。

同じ増量でも…。











2020年2月20日木曜日

のど元過ぎれば(前編)

情けないが、また糖尿病の薬を飲んでいる。おまけに種類も増えた。克服を自慢していたのに、恥ずかしい限りだ。友人への警鐘と自戒も込めて、顛末を書き記すことにした。

12年前の東北時代のことだ。数週間前から体がだるくて、押印する印鑑まで重く感じる。おまけに夜中に3回はトイレに起き、90Kの体重も減少し異常にのどが渇く。

これは尋常でないと町医者の門をたたいた。採血の結果を聞きに行くと、医者がどこかに電話している。「重症の糖尿病患者です。空きは?はい、即入院させます」誰のことかと思っていると、先生が「今の電話は貴方です」「えっ」と驚く私に「異常な血糖値です。いつ倒れてもおかしくない。直ぐ入院」と言われた。

突然で理解不能。それに予定もある。「先生、幹部人事の発令があるので、翌週では?」先生は「何を言ってますか!遅れたら貴方が交代人事ですよ!」…かくして私は緊急入院。

後で知るのだが、過食ですい臓がオーバーヒートし栄養を取り込むインスリンが出ない。吸収されない血中の栄養(糖)を尿で出すため、脱水状態で喉が渇く、栄養が取れず体内脂肪を燃やすため体重が落ちる、の悪魔のサイクルだったのだ。

入院は3週間に及んだ。検査、治療に加え、1日4回のインスリン注射。これは、すい臓を完全休眠させ回復を期待、ダメなら一生注射。2週間目、奇跡的にすい臓が回復し始め、インスリン注射が最小単位の時点で、退院となった。

「今のカロリーに必要なインスリンは、近々自力ですい臓から出ます。只、その時は注射分が過剰になり、低血糖症状が現れます」これは、動悸、めまい、多汗など、それぞれだが、必ず訪れるので飴か砂糖を携帯しろという。

退院3日後、それはホテルの取引先パーティで訪れた。私はメーカー代表の挨拶と乾杯の音頭。主催の社長挨拶のあとなので、トイレでインスリンを注射。直ぐ出番のつもりが、社長の挨拶が終わらない。そのうち脂汗が出て立っていられない。低血糖だ。部下に「すぐスティックシュガーを2本持ってこい。合成甘味料はだめだぞ」因みに部下は佐藤さん。

慌てて3g×2本を水で流し込む。幸い即効で糖が巡り、すうっと楽になり、ご挨拶を全うできた。事情を知らない社長は私の挨拶を絶賛したが、当の私は冷や汗ものだった。

奇跡の生還なのに・・


結局、17K減量と治療とで劇的に回復、退院後暫くして治療も薬も不要になり、高脂血症、高血圧も並行して解消した。大げさだが九死に一生を得た思いであった。

それから10年あまり、家内の食事と自己管理で正常値が続いた。ところが一大事、81K級で高校入りの息子に、柔道部の監督から100K階級への増量要請で事態は急変。我が家は増量作戦用の高カロリー・高たんぱくメニューに一変したのだ。


そういえば、ナースから2型糖尿病の患者さんを、陰で「おバカさん」と呼ぶらしい。飽食の果てに入院し、退院後また食べて再入院が多いのだ。まさに、おバカさんである。

さて、私の「おバカさん」ぶりは次回へと続く。


2020年2月4日火曜日

ひとつをねがいひとつをしとげ

息子の大学の授業料を払い込んだ。娘は就職だが、オヤジは当面ラク出来ない。新設柔道部に燃える息子に望むのは、大学での学びを通して将来の自己設計図を描くことだ。勿論、柔道部が活躍するのは最重要だが、それだけではつぶしが効かないと案じてしまう。

親としては、柔道に没頭すると共に「自分はこうなりたい」に向けた不断の努力と、上手く立ち回る狡猾さまで求めたくなるものだ。

反面、漠然と企業に入り、そつなく生きた自分より、迷いも打算もなく「今を貫く」だけの猪突猛進の危うさも面白い。

困窮した生活より安定した生活、と言うが、一体、何を基準の安定かは千差万別だ。裕福でないが、学生から音楽一筋で今も活動中の友をみると、そもそも安定と幸せの価値観が違う。好きな道を突き進む人生も素敵だと羨ましくもある。

はなをさかせよ よいみをむすべ


繰り返すが、墓の下に地位や資産は持っていけない。「生きる間の充実感」が人生ならば、可能性を摘むような世馴れた口出しは、余計なお世話かもしれない。

願うのは、中途半端に妥協した満足より、悔いなき生き方。その為に、5つに大別した目的別な時間を使いたいものだ。 

①時間を仕事に使い「成功」を導き、②思考に使い「力」を養い、③遊びに使い「若さ」を保ち、④読書に使い「知恵」を深め、⑤友人と使い「幸福」に至れの5つ。

それぞれの使い方に一点の曇りなく過ごしたならば、悔いなど残らない。息子は、春から一人住まいで母親の庇護から脱却する。今までの柔道一直線は、家族のお陰と思い知れ。娘の方は、安定企業を選択し、資格取得の時間を作る算段らしいが、先ずは仕事にのめり込め。

未熟な二人が、日々に追われ現実の厳しさに直面しながら、足元のロービームの先に何が見えるか見えないか、そして、どうするかは本人次第。

「明日ある我が身を想い、今日を生きる」・・やはり坂村真民の「七字のうた」だ。
子どもたちには「またか」だが、ついでに期限付お助けカードも添付するから。

【本当に困った時は、力になる!】…(但しハイビーム視点の相談に限る)

先みて今を楽しめ!









2020年1月19日日曜日

今ならブラック!だが。

自分にとって仕事の割合は大きい。優先は家庭だが、時間配分は仕事が中心。30代の営業時代は家庭も顧みず、当時流行った「24時間戦えますか」そのものであった。

あの頃、夜中も働く3つのボウ「ドロボウ・カネボウ・消防」が自虐ネタ。課長時代の合言葉が「今日中に帰ろう」。今なら許せない完璧なブラックだが、何故か楽しかった。

当時カネボウは業界1位を目標に、トップ資生堂の実績を100に置き、自社比率を算出(対A比)。商品・キャンペーン、エリア・流通別売上など、各自が局地戦でNO.1を単純明快に積み上げるランチェスターの法則を展開していた。

達成全国一位のタナベ組は地獄の一課とも言われたが、皆が優秀で頼もしい軍団。ドンペリ・ステーキ・マツタケ達成会など我が家は居酒屋状態で、達成して平日にリクレーションに行く等、今から思うとやりたい放題であった。汗。

そんな彼らも今は会社の要で、とても偉いのだ。後年、部下から「今なら、当時の有難味が分かるが、あの頃は課長死ね!と念じていた」と言われて「そのとき憎まれても、部下が一回り大きくなり上司を超えれば、それで良いのだ」と言い訳した覚えがある。

私も激務からか体調を崩し「殺す気か」と上司に詰め寄ったことがある。支社長は「そうや、死んでくれ。しかし死ぬときは一緒や」…憎くてずるいオヤジ(上司)だったが、妙に納得してしまった。思えば、あの時が「成長痛」であった。

人にやさしく、仕事に厳しく


マネジメントは、部下の強み弱みを把握し、各自の能力を機能的に最大化させること。部下を理解する為、興味と関心で会話を重ねることが「人にやさしく」で、業務を逐一チェックし、常に叱咤激励を重ねるのが「仕事に厳しく」である。

もう一つ、規則・期限の厳守に妥協など在り得ない。野球なら、ユニフォームで打席に立ち、バットで打ち、一塁に走るのと同じ。ルール厳守の先にしか個人プレーはない。


死ぬこと以外は、かすり傷



人生の真は「我々は裸で生まれ、裸で死ぬ」という事実。来世に、地位や名誉は持ち越せない。今、自然災害や事故で苦しむ方は、当たり前を失った事態に直面している。まさに「死ぬこと以外はかすり傷」の心境だ。

当たり前の何かを失うと、他の事で悲しみ悩む余地がなくなる。今の境遇を当然と思わず、有難いことと感謝すると、喜怒哀楽の質も変わるし成長の加速にも繋がる。


最後に一言。私は、過去のブラックぶりを容認する気など毛頭ない。今、話題の「働き方改革」とは、企業側だけに被せるでなく、働く側にも成果を出す意識改革が必要、と言いたいのだ。組織運営には、成果と改善は両輪なのだ。

私は、自分の働き方の礎が、ブラック時代に得たことを不幸とは思わない。仕事意識の改革は環境より、己が決断するタイミングの問題なのだ。

皆の心は火の玉に!















2020年1月3日金曜日

2020年、ほんの少しの違いを。

謹んで新春をお祝い申し上げます。
旧年中は大変お世話になりました。加えて、私の駄文へのお付き合い、誠に有難うございました。本年も変わらぬご厚情をお願い申し上げます。


お正月は年神様と過ごす。


家々に幸せをもたらす祖先の霊「年神様」を、元旦にお迎えする行事がお正月。門松、松飾りでお迎えし、鏡餅やおせち料理をお供えし、祝箸で一緒に戴く。そして、小正月には「どんと焼き」の煙に乗って、年神様に天空へ帰っていただく。

こんな背景を知らず、慣例で正月を迎える方も多い。昨年は息子の越年稽古、娘バイトで惰性的な元旦だったので、今回は改めて年神様に感謝を籠めて、家族で正月を過ごせた。

左様に今年は、物事の本質を捉えた達観的「不易流行」を大切にしたい。良い処は踏襲し、皆で変えると決めたなら、不可能・困難を封印し、仲間と変革に突っ走るだけだ。

できない人と、できる人。


友人からの有難い教示・・人の能力に差はない。あるのは「ほんの少しの違い」だけと。

「できない人は過去にこだわり、できる人は未来にこだわる」など、できる人への少しだけ違いを目指していけば、今の業績より先の「人財」という成果へと繋がる。

2020年は重要な年となる。皆様の倍旧のご支援をお願いし、更なる躍進を目指して参りますので、何卒、本年もよろしくお願い申し上げます。

少しの違いが難しいな