2014年11月5日水曜日

人を見守る事のむずかしさを知る <前編>

そろそろ今年、2014年を振り返るころが近づいてきた。
我が家のニュースは何だろうか? と考えると、夏から秋にかけての息子の柔道……。今年の夏は例年に比べて涼しい夏だったといわれているが、我が家は熱かった!

息子たちの柔道を見守る

市川市立第七中学校柔道部の息子が千葉県市川・浦安地区を勝ち抜いて千葉県大会に進出した。しかし、千葉県の壁は厚く、73kg級個人戦、中堅を務めた団体戦とも敗退して全国中学柔道大会(全中)出場は叶わなかった。中学になると細かく分けた体重別階級ごとの個人戦となり、七中柔道部から二人が千葉県代表として出場した。

息子は苦杯をなめたが、技は体力も未完成ながら、体重管理を含めた体づくりでは自分を追い込み、練習を重ねて臨んだ。私はそんな息子を励まし、見守った。

「七中名物サーキット」と呼ばれる練習は、まず、全員が輪になって、腕立て、腹筋、屈伸運動を何百回と続ける。一人が10回ずつ号令をかけ回るので、20名で各種200回になる。これが、通常練習の後のメニューというから1年も経つと、体つきがみるみる変わってくる。



体重別競技の選手は、中学でも体重の増減に合わせての体づくりを求められる。カロリーコントロールと併行してインナーマッスルを鍛えて代謝カロリーを増やす肉体に改造することだ。息子は小学校卒業時、70kgの体重が、中学に入って66kgに落ちるのに2か月と掛からなかった。いくら食べても太れないのである。大会に73kg級でエントリーした息子は、下限の66kgを割ると計量で失格になるのだが、一向に体重が増える気配がない。

摂取カロリーと代謝機能がそのままだと練習量でのダイエットにしかならない。息子は「筋トレ」を上回る「食いトレ」に励むしかなかった。そんな「食いトレ」と「インナーマッスル強化」で地区大会から県大会にまで進めたのは、体重計との格闘では勝利したからだ。

息子は部活に加え、市川の「須賀道場」に週4回通っているが、体重減少を心配する息子に、道場の岩崎先生は「大丈夫、体が慣れば食べられるようになり体重は増える。その身体を、また絞って筋肉に変えていくうちに、見違えるから」と涼しい顔。夏を努力した者には「絞り込まれた強靭な肉体と、力強い技の切れ」という大きな収穫が得られるというのだ。

息子の「食いトレ」は、朝から「かつ丼」、給食は人並みで我慢、道場に行く日は軽めの夕食、道場から戻り再夕食(夜食)を取る。満腹は道場で吐くので厳禁だ。家内は「飼育しているよう」と言いながら内心嬉しそうである。県大会当日、息子は71kgで計量を通過した。



多くの人に支えられて……

誰しも、運動に限らず何か事を始める際の動機は、大きく二つあると思う。一つは始める活動・運動そのものの魅力、二つは指導者や仲間の魅力。息子は通う「須賀道場」で両方を満たされている。名だたる柔道好きが集い、全国でも有名な猛者を育て、全国大会出場の強者を数多く輩出している名門道場で、以前紹介した廣田先生、増田先生も須賀道場の門下生。有難いことに、息子は須賀会長と道場の有り様に支えられている。

「須賀道場の魅力」は何と言っても、須賀会長の的確な指導力と門下生一人ひとりに対する姿勢、人を引き付ける人間力。ここで育った先生たちが須賀先生への恩返しとばかりに更にパワーアップした熱血漢と指導力を引き継いで門下生の為に集まってくる。

とにかく須賀道場の門下生はタフである。夏は気を失うほど暑く、冬は身を切るような寒さの中でひたすら練習を繰り返す。柔道の試合ではもつれ込むと、お互い疲れ果てて残り一分間で、気力と余力があるかないかで勝敗が決まる、といわれる。須賀道場の門下生は、試合時間をフル回転で戦い続けるタフな体と根性を身に付けて行くのだ。

この夏、腕に覚えのある方が初めて須賀道場の練習に参加したが、一時間もしないうちに軽い熱中症でうずくまっていた。いつものメンバーは平気な顔。こう話すと、「須賀道場」とはどんな道場だろう……と思われるだろう。が、お世辞にも立派とは言えない。広くて、冷暖房付きの公営の武道センターと比べると、意図的かと思うほど何もない道場であるが、私はこの道場の存在が、「修行のパワースポット」になっていると思っている。



涙が人を育てる

県大会団体戦で敗れた瞬間、選手たちの姿が心に残ったので記しておきたい。
選手たちは引き上げるや否や会場の隅で泣き始めた。無理もない。3年生は個人戦での優勝者以外は引退となるので、寂しさと無念の涙。後輩たちは、先輩が去る寂しさと申し訳なさで、涙が止まらなかった。今までを見てきただけに、その悔しさはよくわかる。

個人戦での勝ち負けは「嬉し涙」も「悔し涙」も自分に向けてだが、団体戦での負けはメンバーへの申し訳なさへの涙に変わる。自分への涙と違い、人の痛みへの涙は「成長の涙」。今子どもたちは得難い涙を流していると、私はほほえましく思ってしまった。補欠で悔しいはずの3年生が、後輩の肩をたたきながら、「気にするな、新人戦と来年の全中は俺たちの分まで頼むぞ」と後輩を励ます姿を見たとき、その気遣いと優しさに感激してしまった。

引退する3年生を見守ってきた顧問の古館(こだて)先生は、引退する3年生に「すまない」と言って泣いていた。最後は全員で、保護者の方々へ「ありがとうございました」と頭を下げた。涙でくしゃくしゃ顔の彼らは、誰も顔を上げられず暫く下を向いたままだった。



その場をただ見守るだけの私は、息子たちを育成くださる先生たちに頭を下げながら、ふっと昔、よく口ずさんだ坂村真民の「七字のうた」を思い出した。



息子たちが、これからも一途な努力を積み重ね、いつか「よいみをむすぶ」ため、負けた時には口出しせずに見守るだけで、勝った時こそ一緒になって喜ぶことにしよう。


田辺 志保