2013年4月4日木曜日

楽しい未来に向けて、肝に銘ずること(前編)


この世で変えられないのは「己の過去と、人の心」である。
そして、変えることができるのは 「己の心と、自分の未来」
 
昨年、ブログ開設挨拶の中で「楽しく充実した日々を送る」ために、朝目覚めたら「まだ何も失敗していない新しい一日」が始まったと思い、その日が終わるまでに「明日に好奇心が持てる」ことを見つけよう、と紹介した。

そのブログを見た知人から「本当に、そうやって日々過ごせば、明るい未来が来るのか?」と、問われた。その時、私は「ちょっとした秘訣や、そうなりたいという決意は大切」と付け加えた。それは何なのか、自分にも言い聞かせる意味で紹介したい。

ステップはふたつ。
まず、「心構え」を変えること、次に「優しさ」を持つことです。
硬い話ですみません。興味のある方はどうぞお付き合い下さい。

「心構え」を変える、秘訣その1  
「後ろ向き」気持ちの「ついてない」モードをリセットして、次に最強モード
「前向き」になる「ついている」ボタンを押す。

休日、近所の千葉・浦安地区を散歩する。すると、いたる所に「2年前の大震災」の爪あとが残っていることに気づく。

街は、そこに暮らす人々と共に変化していく。新興マンションが立ち並ぶここら辺では、子どもたちが通う小学校が、数十年後には老人ホームに転用できる造りになっている。
しかし、ひとたび想定外の災害が起きると、修復は容易ではない。
東北の被災地とは比べようもないが、浦安でも「液状化現象」で大きな被害が出た。
下水道が寸断されて、小学校、中学校ではその年の秋まで校庭の簡易トイレで用を足していた。全ての地区での公共被害をまとめ、予算を計上し優先順位を付けて、本格的に修復工事が動き出すまで時間がかかるという。
結果、公園の囲いとか、道路わきの花壇などの細かな所が、まだそのままになっている。
近くの公園で、1メートル以上地面から飛び出した下水管を、「モニュメント」として残す工事が始まった。賛否両論あるそうだが、その目的が皆に伝わればと思う。
何のために、何を、どう残すか、である。
どの街も変化するが、「そこに人がいる」ことは普遍である。
「そこに人がいる」かぎり、全ての物、全てのこと、全ての心が「人に優しくあるべき」というのが、変えてはならないテーマなのだと思う。                            

以前読んだ、重松清の小説『定年ゴジラ』では、東京近郊のお洒落な新興住宅地区の人々が一斉に定年を迎え始め、暇なリタイア・シニアたちが昼間歩き回り、公民館が「憩いの場」になっていた。
笑えない話であるが、わが街もそうなっていくのだろうか。
30年後を想像してみる。多分、私はいない。家内はきっと元気はつらつだ。
そして、彼女は30年後に何を思うのだろう。

30年後、待ち遠しくなる温かな風景を絶対につくろう。

子どもが少なくなり、久しぶりに子どもの姿をみかけると微笑んでしまう。
平日、近所のスーパーに行く。昼間、暇なお父さんが目につく。
心得たもので、レジの女性がお客様の目をみて「いらっしゃいませ」と満面の笑顔で頭を下げるのだ。スーパーの最大の販売促進は、お客様への笑顔。いちころだ。
一方、奥様たちは皆元気。子育ても終わり亭主の世話もそこそこに、お仲間との趣味の集いや、サークル活動、お茶会と、笑い声が絶えない。

大切なのは、そこがどんな街並みになろうとも、高齢になった住民が近所を歩くのに不便をしない、現在の子どもたちが40を過ぎて地元を愛し、生き生きと暮らしていければ申し分なしだ。
簡単でないことは百も承知だが、「嫌なこと」や、「辛いこと」を、ちょっとした受け止め方で「楽しい気持ち」に変えることができれば、「人に優しく、自分に厳しく」の心が育ち始める。そのために、まず自分が「心構え」を少し変えて、「相手の求める心」を知る。必ず行動が変わってくる。それが周囲に伝わる。
皆がそうなってくると空気が変わる。吹く風さえも穏やかに感じられ、家の中にやさしい「家風」が生まれ、学校にも温かい「校風」、街全体の風土も変わり、勤め先にも新しい「社風」が吹いてくるかもしれない。

「ついている」「ついていない」とは何だろう。

「茶柱が立っている」「電車に間に合った」「朝、快晴」など、「今日はついている」と思うことは多い。しかし、逆に、朝目覚めると寝過ごしてしまい、カーテンを開けると大雨、間に合わないので、お茶一杯も飲まずに家を出たが、駅の階段で転んでしまい、電車にも乗り遅れた、などと続くとウンザリしてくる。

こんな時、「きっと自分は今、運勢下降気味だから」などと悲劇のヒロイン・ヒーローになっていく。そして、こんな調子で「ついていない」事件が続くと、ストレスも増大、どんどんマイナス思考が働いてしまい、「私は不幸で、何もかもついていない」などと考えているうちに「人生」そのものが、ついてないなどと「負のスパイラル」に巻き込まれる。
本来、「ついている」「ついていない」は、自主基準だし、二者択一なので、半々の確率で出くわすはず。ならば、自分は断然「ついている」シリーズのほうが多い、と信じたほうが得だ。今すぐ前向きモードに切り替わる「ついている」ボタンを押そう。

「心構え」を変える、秘訣その2
「~なのに、なぜ」の恨み節は捨てること。

知り合いの医者に「ストレスとは?」と尋ねたら「こうなりたいのに、そうならない状態」と返された。となると、なにもかもストレスになる。私もストレスの連続である。

朝の目覚まし時計が鳴ると「もっと寝ていたいのに」、食事のたびに「ほんとうはあれが食べたかったのに」、子どもの顔を見て「もっと素直なはずなのに」、スキンヘッドの我が頭を「こんなはずじゃなかったのに」、仕事仲間に「あれだけ説明したのに」など。

並べただけでも「~のに」のオンパレードである。必ず「~のに」には、これだけしてやったのにという「恨み」が横たわったりしている。そしてその後は必ず「なぜ~」と続くのである。

自分以外を原因とする、この思考は、止めたほうが良い。自分には落ち度が無い発想なので、すべて相手が悪くなる。なかには相手のミスで起こる事件もあるが、全て相手が悪いから、自分は変えない。相手様が変われ!となるので、課題も対策も自分でコントロールできない。つまり解決しないのである。
「世間が悪い」「お天道様が悪い」となると、空しいばかりで、結局あとに残るは「恨み節」だけになる。
そうならずに、自分自身、前向きになり、上り坂に進むためには、
「こうしたいのに、そうならない」のは、相手ではなく「自分」の責任で、自分の行動、考え、取り組み方を変えないからだ、と思うことだ。

やり方は、簡単。「~のに」から「なぜ~」にするだけである。たとえばこうなる。
「主張したいと思う子どもを、なぜ素直でないと思うのか」
「うまくいかないのは、説明不足か、その内容か」
「何でも世間が悪いといってしまうのは、なぜなのか」
と、自責モードに変換すると自分をどう変えるかという「答え」が見えたりする。

この世で変えられないことは 「己の過去と、人の心」である。
そして、変えることができることは 「己の心と、自分の未来」だけ。

これを肝に銘ずること。そのほうが解決に近づく。
「ついている」ラッキー、と思うのも同じこと。「ついていない」ことが逆になる。
「朝起きるのがつらいのは、寝ていた証拠」
「雨が降るから、晴れがうれしく感じられ、おまけに、お肌が潤う」
「階段で転んだけれど、骨折しなくてよかった」
「乗り遅れたけど、次の電車に無事乗れた」
「相手が遅れ、待たされた、けれど、無事で何より」
「嫌な相手、おまえはこうなるな、と教えてくれている」

人生、どんな困難な坂に遭遇しても、自分自身に「前向き」ボタンを押すだけである。

ついでにもう一言。ずっと昔、故郷・静岡の近所のお寺の掲示板に書かれていた言葉が忘れられない。

「子ども 怒るな 来た道だ、年寄り 叱るな 行く道だ」