昭和の思い出は数あれど、TVと映画が対峙していた頃、大好きな映画に加山雄三の「若大将」があった。You Tubeの若大将マニアの解説を観て、懐かさに思わずセット買いをしてしまった。
この映画、大学スポーツ万能の若大将(加山雄三)を主人公に青大将(田中邦衛)とスミちゃん(星由里子)との痛快青春コメディ。とにかく若大将がカッコよく観ていて心地良い。
第1作1961年「大学の若大将」6歳の私はその後の再上映でドハマり。話題のシーンは若大将たち水泳部が大学の浄化槽の蓋で焼肉を焼く場面。脚本では公共のマンホールだったが、東宝幹部の「良識ある大学生はしない」と中止。それを逆手にとりマネージャーが便所の浄化槽の蓋を拝借、そこに用務員がハマる設定にして強行撮影。
結果は大受けで、幹部の「次回はマンホールで」の声には制作部を呆れさせた。しかし改めて若大将を観ると彼の破天荒ぶりと人の良さに驚く。
大学の授業料は使い込む、すぐ喧嘩して店は壊す、若大将の為に祖母が家業のすき焼き・田能久の肉や運転資金を流用と、犯罪紙一重なのに毎回父親の「勘当だ」で済むし、果ては若大将の大活躍で全て丸く収まるから不思議だ。
まぁそこは深く考えず、彼の奮闘と高度成長期の勢いを楽しもう。当初の3部までの話は4作1963年「ハワイの若大将」の大ヒットで継続は確定。
しかしこの後、黒澤明「赤ひげ」で加山は1年間拘束され人気低迷を案じたが、5作1965年「海の若大将」で自作の歌もヒットし前作を上回る興行成績となり若大将は確固たる地位を確立した。
同年の6作「エレキの若大将」は彼の音楽的才能に溢れ音楽映画としても大ヒット。突如スミちゃんと歌う「君といつまでも」はあまりに有名だ。このレコードは翌1966年に350万枚のトリプルミリオンセラーとなったのだ。
その後の4作品も人気は続くが、加山30歳の学生服はさすがに不自然で11作1968年「リオの若大将」で彼を卒業させ終了と考えたが、世間は許さず東宝得意のサラリーマン劇場に移行していく。酒井和歌子のせっちゃんも初々しい。
高度成長の自動車メーカーを舞台に13作1969年「フレッシュマン若大将」もはまり役で、それ以降の会社員シリーズも見逃せないが、個人的には大学の若大将シリーズが最高だ。
若大将シリーズの苦悩と再生。
会社は次の若大将を狙い16作1971年「若大将対青大将」は加山主演だが、田能久は登場せず二代目の大矢茂も中途半端で、惨憺たる結果となる。その後の三代目の草刈正雄も振るわず、若大将シリーズは残念だが終焉を迎える。
ところが1975年に突如、若大将のオールナイト興行が爆発。若い人にも大ブームが起き、大学生の私も新宿のオールナイト一挙4本上映で一緒に歌い大声援の観客参加型を体験。その盛り上がりは凄まじく次回作に繋がるきっかけとなった。
それが、彼の芸能生活20周年の記念作品1981年「帰ってきた若大将」だ。全編が若大将のオマージュに溢れたこの作品は、本来の若大将の魅力が満載で大ヒット。加山雄三の若大将は見事に有終の美を飾ることになったのである。
昭和映画のシリーズ化の成功は、若大将、男はつらいよ、釣りバカ、ゴジラなどあるが、共通点は①主人公の強烈なキャラ②配役の魅力③安定のワンパターン。この三つが揃い「主人公の虜」になればマンネリは歓喜の定番化になるのだ。
昭和映画史に輝く若大将こと加山雄三は、湘南生まれの慶応ボーイ、スポーツ万能、シンガーソングライター、画家とまさに異能の87歳。
熟年でも私には永遠の若大将。憧れの彼に長寿祈願と感謝を込め一言「よっ若大将!」。