2016年8月5日金曜日

試練は突然やってくる(後編)


前編で紹介した柔道全国大会の予選直前の息子の骨折は、まさかの試練の大波乱となった。


周囲は想定外の事態に「仕方ないさ」などのセリフは出てこない。千葉を背負って全国へ行くんだ!を合言葉に、皆必死の練習を重ねてきたので腑に落ちない。主将としての甘さと、仲間たちが気遣って言葉を飲み込んでいるのが判るから、息子は相当落ち込んでいた。

有明医療大学の福田先生は自分の診察時間、研究、指定選手の治療の合間に息子との時間を調整し、それこそ寝る間も惜しんでの治療をして頂いた。同時に柔道家として半端ないリハビリ用トレーニングメニューを息子に課せた。

息子は、松葉杖片手に道場の隅で、黙々とハードメニューをこなす日々。福田先生は、時間がなく試合がぶっつけ本番になるので、ケガ前より強くなれ、と目論んでいるようだ。

息子の希望で「酸素カプセル」にも通った。サッカーのベッカムが自宅に置いてある代物で、疲労回復や骨の成長に効果があるらしいが、10日で身長が1cm伸びたのは驚きの事実である。そして2週間目には松葉杖も不要になった。先生曰く、食事と睡眠のバランス、酸素など全てが結集したとしても、驚異的に早いです、と感心された。

登りきれ、まさかの坂

試合の2日前、打ち込み600回と組み手の練習後、帰宅した息子は、初めて弱音を漏らした。
「この3週間、一度も投げ込みも乱取りもしていないけど、大丈夫かな」とつぶやく。
「不安は当然。今は先生を信じ自分を信じるしかない、練習は嘘をつかないんだろ」と私。

地区予選当日、福田先生はわざわざ会場に来てくださり、息子の足にがっちりテーピングをしてくれた。そして息子に一言「これで大丈夫!」。息子はこの3週間で最高の笑顔を見せた。心のカンフル剤にもなったのか、一瞬で戦う形相になる。

結果は、息子81キロ級で選ばれ、他にも60キロで2名、73キロ、90キロ級と、七中主力が県大会に駒を進めた。そして団体戦でも市川七中は県大会進出となった。まずはひと安心だ。

試練は続く

10日後の県大会当日、周囲の応援と福田テーピングを味方に勝ち進んだが、決勝戦でテーピングの足をピンポイントで払われ、まさかの敗退となった。先生も周りも試合判定の心残りはあれど、もはや勝敗は決したのだ。それでも、男子レギュラー2名が60、90キロ級で全国進出を果たせた事がせめてもの救いである。

こうして彼の全国個人戦出場の夢は途絶えた。今更、言っても仕方ないが残念無念である。
茫然自失の息子に、慰めの言葉もかけられない。まして明日の団体戦への気力は自力で奮い立つしかない。我々家族は見守るしかないのだ。

翌朝、彼は私に「今日の団体戦は必ず優勝するよ。市川七中全員で全中にいくから・・」
私は、『よくぞ、いったと内心感激した。昨夜、黙って足首を冷やしていたが、痛かったかもしれない。思えば、治療中の言い訳も、痛めた左足首への小内攻めで負けた悔しさも、彼の幻の「有効」も、指導3取り時間切れなど、後悔も愚痴も一切語らず、黙って「負け」を受け止めて、今日に気持ちを切り替え、前へ進み始めた。

私は何も言わずに拳を突き出した。彼は照れ笑いを浮かべて、黙って拳をぶつけてきた。

こうして、市川七中が団体戦・男女ともに見事優勝を果たせたのだ。中学の団体戦は、体重順に5人が戦い、3勝した方が勝ちである。選抜43校を順調に勝ち進み、決勝戦を迎えた。
先鋒、次鋒、中堅戦が2勝1分で、副将の息子に回ってきた。あと一つ勝てば優勝だ。

大声援が飛ぶ。『勇斗!お前が決めて、優勝を勝ち取れ!』。開始2分、攻め続けた息子は、大内から踏み込んで渾身の大外刈を決めた。1本勝ちの瞬間、息子と同じ個人戦で全中を逃した次鋒の選手が歓喜の涙で立ち上がる。そのまま市川七中全員が抱き合い涙を流している。

3年前の入学依頼、全中出場の悲願を果たした瞬間だ。主将のケガ波乱のこの1ヶ月は、おそらく選手全員が不安を彷徨いながら、心を一つにしてようやく勝ち取った優勝である。
子どもたちも、先生も父兄も涙腺崩壊の試合となった。


神の手福田先生と


市川市も七中も男女とも初優勝


市川七中団体メンバー



「七柔魂」よ、永遠に

先日、市川七中の関東・全国への壮行会を須賀道場で開催して頂いた。大騒ぎしていた子どもたちが、最後に市川七中の校歌を歌った。そう、来年は、2度とこのメンバーの団体戦はないのだ。先輩との残り僅かな日々を惜しむ後輩たちがボロボロ泣き始めた。

先生の叱咤激励「泣くな、まだ関東、全国があるぞ。後輩たちは、先輩の道を繋げろ!」

子どもたちよ。この先どう変わろうが「市川七中柔道部」も「須賀道場」も、でんと構えていつまでも変わらない。君たちは一生、七中柔道部OBであり、この道場の門下生なのだ。
「子どもたちの柔道人生はこれからです。負けるも、ケガも、挫折の壁を超えて、集う子は生涯の弟子ですから」と、先生たちは言ってくださる。何と有難いことか。

恩師と仲間を信じ、己を信じ、懸命に過ごした経験は、振り返ったときに「試練」となり、それを克服して「得難い経験」になり、やがて彼らの「財産」になる、と信じている。

人生「まさかの坂」は迷い坂ではない、ひたすら登り切るしかない坂なのだ。
試練という脇道で少し遠回りして克服し、上り坂・下り坂のある「元の道」に戻すのだ。

七中校歌。須賀道場