店舗戦略「左回り」。
私は営業現場にいた頃、新規店舗の化粧品コーナーの設置をめぐって他社と常にしのぎを削っていた。いわゆる陣取り(場所取り)合戦である。特に大型店舗ではお客様の注意が無意識に向く、いわゆる一等地を押さえることだった。
で、その一等地とはどこか……。
大型店舗では入り口から入って左前の売り場である。勿論、業態や店舗ごとに異なるが一般的な大型GMSなどでは、まずそこに食品売り場を押さえようとする。そこからのお客様導線をみての、化粧品コーナーの位置要望と、コーナー決定後でも場所取り優位は、やはりこの場所である。
小売業では「左回り(反時計回り)」を取り入れた店舗戦略が知られる。駅を出て駅舎を背に立つと、人はおうおうにして「左」の方面に目をやったり、動いたりする傾向があり、入口が左右2か所ある建物に入る時は左の入り口から入る人が多いなどといわれていたことから、左側入口付近の左側を押さえることに私は力を注いだ。
この左回りはキャンペーンや売れ筋商品の陳列にも当てはまる。大型店舗では周囲の売り場によるお客様の導線を予測しながら、店舗内を壁に沿って左回りで回遊を計算したのだ。
余談だが、美術館や水族館などは左壁回りが多く、遊園地でも幼児用のメリーゴーランドは左回り、意表をつく絶叫系アトラクションは右回りが多いということを聞いたことがある。
以前、元警察関係の方から面白い話を伺った。
容疑者取り調べの際、一般的な傾向として、身に覚えのある人ほどよくしゃべる、というのだ。少しでもやましい気持ちがあると、目が泳いでそわそわして、懸命に言い訳を並べ、そのうちに、しゃべりすぎて自分からぼろを出すそうである。
逆に寡黙だったり、ダンマリを決め込んだりしている場合は、色々なゆさぶりをかけて、じっとその反応を見るそうだ。人が、嘘をつく時の無意識の行動パターンというのがあるという。
私が駆使してきた店舗戦略「左回り」もまさに無意識の行動パターンである。
前にも触れたが無意識の行動パターンには、非言語的な無意識化の行動(ノンバーバルコミュニケーション)と、言語的な意識下の行動(バーバルコミュニケーション)があり、相手との会話では、言葉(言語)の与える影響はわずか7%ほどでしかなく、顔の表情やしぐさ、声のトーン、視線、身振りなどの非言語的行動が残りを占めるという。
そもそも人の心臓は、基本左胸にある。急所である心臓の破壊は、死に直結するので、人は無意識に心臓(急所)を守る行動をとるようになっている。したがって、人は心臓を内側に内側にと置くことで安心する。
通路では外敵のいない壁を左側にして歩く。実は、逃走する犯人の約8割はT路地では左折して逃走する。警察はそれを参考に逃走方向の左手に人員配置・シフトすることがあるという。相手が腕組みをするのも、こちらを警戒して無意識に心臓を守り、その相手を拒否する行動だ。商談中、相手が腕組みをしたら、つらい展開になることを覚悟したほうがいい。
警戒があれば、親愛もある。
カネボウでカリスマ販売員と称された人たちは、お客様の心臓側に位置する「親愛の距離」、ベストポジションにすっと入り込むことができる。
売り場に足を踏み入れたとたん、「何かお探しですか?」と販売員が近づいてきたので逃げるようにその場を離れたとか、購買意欲が一気に失せた……、そんな経験はありませんか?
自分の左右の腕を横一杯に広げてみよう。左右の指先までの距離は大体自分の身長に比例し、この両腕を広げた距離を自己のテリトリーと認識する。だからこの範囲に見知らぬ人が侵入してくると人は警戒する。
初めて足を踏み入れた店で、販売員が自分に近づいてきてこの範囲に入ると、「何か言ってくるな、声をかけられる」と構えるのだ。「何かお探しですか」などとつきまとわれると、ウインドウショッピングの楽しさが半減する方もいるだろう。
優秀な販売員はお客様との距離を絶えずこの警戒範囲の外で様子をうかがう。これは販売の鉄則だ。つかず離れず、絶えずお客様が「ちょっと」という感じで顔を上げる機会を待ちかまえている。そしてタイミングを逃さず、「はい」と言いながらスッと近づくのである。
さらに、両腕を下げ、ひじを起点に前へ持ち上げた状態の、体から指先までの範囲が相手を許す親愛の距離といわれる。40センチくらいだろうか。
その距離内に入り、それも相手の心臓側に位置したら「親愛のベストポジション」である。
この域に達するのは相当の信頼関係が築かれた証拠で、最良のコミュニケーション、会話ができる。そう簡単にそこに入り込めず、かなりの努力を要することだが、カリスマ販売員はなんなくクリアしているから尊敬に値する。
これは販売員のノンバーバル・無意識行動を考慮した最高のバーバルコミュニケーション行動の最初の一歩。ほかに、顔の表情やしぐさ、声のトーン、視線、身振りなど深く掘り下げなければならないことがたくさんある。
販売職に限らず、営業、製造ラインで仕事をする人にも、無意識の行動パターンの活用場面は数多くあり、自身の土台づくりとなることは間違いない。
勘違いしてはいけない。無意識の行動パターンを知る・理解することが大事ではない。それを、社会、仕事の場で通用する能力に育て上げなければ意味がないのだ。
自分の無意識行動を見直す。
「善濡直心」。「ぜんじゅじきしん」と読む。
善の心、濡れた心、素直な心を持とうという教えであるが、私はこう解釈している。
相手の心が殺伐として乾いている、と嘆くのではなく、それは自分の心が濡れていないからだと思え。自分が素直に濡れた心で接することでしか、相手の心は濡れてはこない。
そう思って自分の行動を見直すと、反省だらけだ。相手の話を聞くときに、腕を組む、時々目を逸らす、眉間にしわを寄せる、足を組む、笑顔を忘れる、話の腰を折る、数え上げたら切りがない。
人様を論ずる前に、人様が嫌がる己の無意識での行動を見直し、改めてみたい。
意識的行動が「善儒直心」を目的とすること、を肝に命じて取り組もう、と心に誓った。
田辺 志保